夏季開催の『パリオリンピック2024』
同年7月27日(日本時間)から開会式セレモニーが行われた後、本格的に競技がスタート。
柔道女子78キロ級では大健闘した高山莉加(たかやまりか)選手。
混合団体戦でも活躍する姿を見せています。
今回は高山莉加って誰で何者?パリ五輪での審判やコーチについても深掘りしてみました
パリオリンピック2024がフランス・パリで開催
引用元:ユーストレンドラボ
パリ2024オリンピックは20244年7月26日から8月11日までの17日間の日程で、フランスの首都・パリで開催される予定です。
今回のオリンピック参加国・地域数は【207】と公表されています。
開会式の開会宣言は開催国・フランスの幕論大統領が務める予定となっています。
ちなみにパリでオリンピックが開催されるのは今回で3回目であり、過去には1900年と1924年に開催されているんですね。
今大会の注目競技は多数あるのですが、その中でも今回初めてオリンピック種目とった【ブレイキン(ブレイクダンス)】が注目されているようです。
いずれにせよ、まずは我が国・日本の代表選手の活躍がとても気になるところです。
【何者】高山莉加選手って誰?
パリオリンピック2024女子柔道個人戦では惜しくもメダル獲得には至らなかった高山莉加(たかやまりか)選手。
されど大健闘で素晴らしい戦いを見せてくれました。
そんな高山莉加選手ってどんな人なのでしょうか?
<<高山莉加選手プロフィール>
名前 高山莉加(たかやま りか)
生年月日 1994年8月27日
年齢 29歳 ※2024年7月時点
出身地 宮崎県都城市
階級 78kg級
身長169cm
血液型 O型
組み手:右組み
得意技 払い腰、寝技
段位 二段
所属 三井住友海上
主な経歴
高山莉加選手が柔道を始めたのが3歳の時。
小学校6年の時「全国小学生学年別柔道大会」の45kg超級に出場するも予選で敗退。
中学2年の時に出場した「全国中学校柔道大会」63kg級では5位。
中学3年の時は2回戦で敗退。
高校(鹿児島南高)に進学した高山莉加選手は年時にインターハイの70kg級に出場するも3回戦で敗退。
2年時には金鷲旗では団体戦で3位入賞。
全国高校選手権の無差別では3回戦敗退するも、3年時にはインターハイ78kg級で全て寝技一本勝ちで優勝
全日本ジュニアで70kg級では準決勝で3位、エクサンプロヴァンスジュニア国際では78kg級で優勝
お世辞にも、学生時代に華々しい成績を収めているわけではなかったのですが、その後の大きな大会では頭角を現し始めます。
グランドスラムやアジア大会、アジア選手権等で獲得したメダルの数は15枚以上にも及ぶほど、歳を重ねるごとに強くなっている傾向にある柔道家です。
高山莉加選手のパリ五輪と審判とは?
パリオリンピック2024の柔道では「疑惑の判定」という言葉が誕生するほど、それが目立つことが多かったと感じています。
そしてそれは高山莉加選手にも及んでしまった…という印象です。
それは高山莉加選手の準々決勝戦で、3枚目の指導を貰ってしまい、敗退してしまった試合です。
3枚目の指導をもらってしまった理由は、審判によると…
相手選手が襟をつかんでいる状態で、故意にその手を首から外してしまう行為は反則となる。
この試合では審判がそう捉えてしまったために、3枚目の指導をもらい、「反則負け」となってしまったんですね。
柔道経験者ならわかることなのですが、相手選手との身長差がある場合、故意でなくても、頭を下げた時に、相手選手の掴んだ手が首から抜けてしまうことはあるものなんですね。。
これはルール上、そうなっているために、審判のせいではないのですが…ルールを変えた方が良いと思うのは著者だけでしょうか?
高山莉加選手のコーチについて
高山莉加選手が個人戦で戦った際に、時折映るこの画像の「コーチ」が気になりました。
このコーチは一体誰なのか、リサーチしてみました。
このコーチは池田ひとみコーチです
名前 池田ひとみ
生年月日 1985年7月10日
年齢 39歳
出生地 沖縄県
最終学歴 埼玉大学大学院 卒業
所属 自衛隊体育学校
6歳から柔道を始めらた、池田ひとみ選手はこれまでに多くの大会で好成績を出されています。
オリンピックの出場経験はないものの。「アジア柔道選手権の銅メダリスト」でもあり、現在は自衛隊体育学校にて後輩の育成・指導にあたる指導者をされています。
コメント