突然ですが、あなたは「アドベンチャーレース」はご存知でしょうか?
アドベンチャーレースとは「山や川、海やジャングル」などといった、大自然をフィールドとして多種目なアウトドア競技をこなしつつゴールを目指すレースのことです。
そして今回、TBSの人気バラエティ番組【クレイジージャーニー】にアドベンチャーレーサーの田中正人さんが出演されます。
この記事では、田中正人さん(アドベンチャーレーサー)の経歴と性格について深堀して行きますね!
田中正人さんが2024年8月26日・クレイジージャーニーに登場
2024年8月26日放送のクレイジージャーニーではアドベンチャーレーサーの田中正人さんがご出演されます。
56歳にしてアドベンチャーレースに挑む田中正人さん。
異国の地・クロアチアで、不眠不休の壮絶な状況の元「鬼軍曹」こと田中正人さんが約4人1組のチームで駆け抜けます。
総距離502kmという途方もない距離を27組中上位3位を目指して走り続ける姿は感動の嵐の連続です!
田中正人さん(アドベンチャーレーサー)の経歴
田中正人さんの幼少期はとにかく破天荒な子どもだったと言います。
当時の田中正人さんは「人の気持ちがわからない、自分が一番正しい」という強い自我を持った少年だったそうです。
クラスの生徒たちと口喧嘩は当たり前で、むしろ論破することに優越感を感じていたと言います。
口が出るのは当たり前だったそうですが、手が出るのも早かったという田中正人さんは、小学生時代にガラの悪い生徒にいきなり殴られたことで、取っ組み合いのケンカに。
先生が引きはがすまでは止めなかったというから凄まじいいほどの気性の粗さと自信を持っていた少年でした。
心の変化が起きた中学時代
中学二年生の時、自分の性格を見直そうと考えた田中正人さんは、友人とのやり取りの中で、田中正人さんが議論で折れたことがあったそう。
すると友人もそれが意外だったようで、向こうも歩み寄ってくれたことがあったそうなんですね。
そこから、ただ論破するのではなく、こちらの出方次第で人間関係が変わる事を実感されたそうですよ。
これはチームで行動するアドベンチャーレースをやる時にも、意識していると言います。
就職後
高等専門学校の工業化学科を卒業し、ある化学会社の研究所に就職した田中正人さんは、一人で黙々と作業する事が性に合っていたため、有機合成実験をずっとやっていたそうです。
社会人経験を積んでいくうちに、ある時「アドベンチャーレース」に出会います…1994年の事でした。
アドベンチャーレースで人生が一変
チームで走るアドベンチャーレースは、チームビルディングが重要で、これがまさに田中正人さんの最も苦手とする部分でしたがこにドはまりした結果、1995年には会社を退職。
1996年から本格的にプロのレーサーとして活動していきました。
1993年第1回日本山岳耐久レースで優勝したことで、間寛平さんのチームに参加。
「レイドゴロワーズ・ボルネオ大会」出場するも、温厚な間寛平さんから「いちいち命令すんな!」とブチ切れられたそうです…
チームではキャプテンの立場にいたものの、持ち前の「自我」が出てしまい、メンバーからは批判が殺到してしまったんですね。
とはいえ、結果としては見事、日本人初完走を果たされています。
移行は数々の海外レースで実績を作り、国内第一人者にまでなられています。
現在も海外レースに出場・国内イベントの企画・運営及び講習会、若手の育成、講演活動、アウトドアスポーツの普及振興にも携わられています。
田中正人さん(アドベンチャーレーサー)の性格はどんな?
これまで、多くのレースで実績を作られて来た田中正人さん。
チームとの協調性も求められるアドベンチャーレースですが、現在の田中正人さんの性格は一体どうなのだろう?と気になりました。
こちらについて、田中正人さんは次のように仰っていました。
一番気をつけているのは、相手を否定しないこと。経験の差もあってどうしてもメンバーの発言を未熟と思ってかぶせてしまうのをやめなくちゃいけなくて、でも出ちゃう時もあるから、その時は素直にごめんと謝ろうと。完璧に修正できてるわけではないですが、その場その場で謝って、訂正できるようにはなってきたと思います。
つまり、田中正人さんは歳を重ねるごとに、徐々に自分の他人に対する接し方を気を付けながら変えて来たものの、根本となる性格そのものは変えることができないということですね。
だからこそ、自分が出てしまう時はある、でもそんな時は素直に謝る事が出来るようになった‥という事のようです。
10代や20代の頃はともかく、ある程度大人になったら性格をガラリと変える事なんて誰でもできないですものね。
コメント